

一番櫓 / 大阪城
大阪城の「一番櫓」は、二の丸南側の石垣上に位置する二層二階建ての隅櫓で、東端にあることから「一番櫓」と名付けられました。この櫓は、玉造口からの敵の侵入を側面から防御する役割を果たし、外側の東面と南面には16の窓や多数の狭間(鉄砲や矢を放つための開口部)が設けられています。また、東面には石落としも備えられ、敵の攻撃に備えていました。 一番櫓は、徳川幕府による大阪城再築工事の最終段階である寛永5年(1628年)に建設されました。その後、万治年間(1658~1661年)、寛文8年(1668年)、天保3年(1832年)の3度にわたり修復が行われ、特に天保3年の修復は解体を伴う大規模なものでした。戦後の解体修理の際には、建物下の栗石の間から当時の衣類が発見されています。 一番櫓の面積は、1階が約167.98平方メートル、2階が約96.31平方メートル、高さは約14.3メートルです。二の丸南側には一番から七番までの櫓が建てられていましたが、現存するのは一番櫓と六番櫓のみで、いずれも重要文化財に指定されています。 一番櫓は、戊辰戦争や第二次世界大戦の空襲を免れ、現在もその姿をとどめています。特に、第二次世界大戦中の大阪大空襲では、隣接する二番櫓が焼失したものの、一番櫓は大きな被害を受けずに残存しました。
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