

西の丸 / 姫路城
姫路城の西の丸は、江戸時代初期に徳川家康の孫である千姫の居住地として整備されました。千姫は、豊臣秀頼の正室でしたが、大坂夏の陣(1615年)で豊臣家が滅亡した後、救出されました。その後、1616年に本多忠刻と再婚し、翌年に姫路城へ移り住みました。彼女のために新たに設けられたのが西の丸です。 西の丸には、千姫の居住空間として「化粧櫓」が建てられました。この二重二階の櫓は、内部に畳敷きの座敷があり、奥御殿として使用されていました。また、東側の窓からは朝日が差し込み、千姫が化粧をする際に利用されたと伝えられています。 さらに、西の丸の東側には「渡櫓(長局)」と呼ばれる長い廊下があり、約240メートルにわたって続いています。この渡櫓の内部には、千姫に仕える女中や下女たちの部屋が連なり、彼女たちの生活空間として機能していました。 西の丸全体は、石垣で囲まれた独立した区域として設計されており、千姫の身分にふさわしい広さと構造を持っています。しかし、その主な目的は防衛ではなく、千姫の居住と生活の場としての機能を重視していました。 現在、西の丸は姫路城の一部として保存されており、訪れる人々に当時の歴史と千姫の物語を伝えています。
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