

青屋門 / 大阪城
青屋門は、大阪城の二の丸北側に位置する重要な出入口で、その歴史は幾度もの再建を経ています。1620年(元和6年)頃、徳川幕府による大坂城再築工事の一環として創建されました。しかし、1868年(慶応4年)の大火で甚大な被害を受け、その後、陸軍によって改築されましたが、1945年(昭和20年)の大阪大空襲で再び焼失しました。現在の青屋門は、1969年(昭和44年)に大阪市が残存していた材木を用いて復元したものです。 この門は、上部に櫓を載せた独立した櫓門として構成されていますが、江戸時代には櫓部分がさらに北西の石垣沿いに長く延びていました。また、青屋口の桝形は、二の丸の他の出入口とは異なり、外側に突き出す「出桝形」となっていました。外側にはかつて水堀があり、算盤橋と呼ばれる押し出し引き入れ自在の橋が架けられていました。この橋は非常時以外は引き入れたままにされていたと伝えられています。 「青屋」の名称は、戦国時代、この地に存在した大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられています。青屋町は、染物屋が集まる地域であり、「青屋」は染物屋を意味していました。またの名を「紺屋」とも呼ばれていました。石山本願寺時代には、御堂の周辺に北町、北町屋、西町、南町屋、清水町、新屋敷という6つの町で構成される寺内町があり、これらの親町から枝町が形成され、その中に青屋町があったとされています。 現在、青屋門は大阪城公園内の観光スポットの一つとして、多くの観光客が訪れる場所となっています。その歴史的背景や独特の構造は、訪れる人々に大阪城の豊かな歴史を伝えています。
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