

哲学の道
哲学の道は、若王子橋と銀閣寺橋を結ぶ約1.5キロメートル(㎞)の歩道です。 哲学の道はもともと、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成した際に、管理用道路として設置された道で、当初、芝生が植えられている程度の道であったが、ここを歩いて通行する人々が増えていきました。明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていて、その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」といわれたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれました。1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになり、これにちなみ、1981年(昭和56年)に道の中ほどの法然院近くに、西田が詠んだ和歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑が建てられました。 哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家の橋本関雪とその妻よねが、1921年(大正10年)に京都市に300本の桜の苗木を寄贈したのに始まります。寄贈の経緯は画家として大成した関雪が、京都に対する報恩を考えた際に、よね夫人が桜を植えてはどうかと発案をしたことによるもので、当初の木はほぼ樹齢が尽きたと思われるが、佐野藤右衛門らの手により植え替えられ手入れされ現在に至っています。代替わりをした今でも桜並木の名称として「関雪桜」と呼ばれている。
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