
周恩来「雨中嵐山」詩碑 / 嵐山
周恩来は、1917年9月から1919年4月にかけて日本に留学し、特に最後の半年余りを京都の友人宅で過ごしました。彼は京都滞在中、新たな思想に触れ、暗い世界の中で一筋の光明を見出した感動を、1919年4月5日に詩「雨中嵐山」として表現しました。この詩は、彼が帰国直前に嵐山を訪れた際に詠まれたもので、当時としては斬新な新体詩(口語詩)であり、彼が当時の文学革命運動の先端的な実践者であったことを示しています。 1978年8月、日中平和友好条約が調印され、これを永遠に記念し、子々孫々にわたる友好を願う心を表すため、京都にゆかりの深い周恩来総理の詩碑を建立することが提案されました。その結果、1979年4月16日、嵐山の亀山公園内に「周恩来総理記念詩碑」が建立されました。除幕式には、周恩来の未亡人である鄧穎超女史も出席しました。詩碑には、周恩来が詠んだ「雨中嵐山」の詩が刻まれており、日中友好のシンボルとして、多くの人々に親しまれています。 詩碑の碑文には、以下の詩が刻まれています。 雨の中を二度嵐山に遊ぶ 両岸の青き松に いく株かの桜まじる 道の尽きるやひときわ高き山見ゆ 流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす 雨濛々として霧深く 陽の光雲間より射して いよいよなまめかし 世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも ――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば 真にいよいよなまめかし この詩は、周恩来が新たな思想に触れ、暗い世界の中で一筋の光明を見出した感動を表現しています。詩碑は、日中友好の象徴として、多くの観光客や訪問者が訪れる場所となっています。
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