

宗諄女王墓 / 哲学の道
宗諄女王は、伏見宮貞敬親王の第10王女で、光格天皇の養女となり、霊鑑寺の門跡(住持)を務めました。霊鑑寺は、代々皇女が門跡を務める寺院で、現在も宗諄女王墓の北方に位置しています。 宗諄女王は、文政6年(1823年)に霊鑑寺に入寺し、得度して法名を宗諄、道号を法山としました。その後、霊鑑寺の住持として布教活動に尽力し、慶応4年(1868年)には紫衣の着用が許されるなど、その功績が認められました。明治24年(1891年)、76歳で亡くなられました。 宗諄女王の墓所は、哲学の道沿いに位置し、白い塀で囲まれていて、周辺は静かで落ち着いた雰囲気があり、秋には墓所周辺の楓の紅葉が美しいとされています。
近くの音声ロケーション
Loading...