

勅使門 / 大覚寺
大覚寺の勅使門は、江戸時代の嘉永年間(1848~1854年)に再建された四脚門で、切妻造りの屋根を持ち、正面と背面に軒唐破風が付けられています。全体は素木造りですが、唐破風の部分のみ漆が塗られ、金鍍金の装飾が施されています。特に大きな菊の御紋が特徴的です。 この門は、天皇陛下の行幸や、陛下のお使いが訪れる際にのみ開かれる格式高い門です。別名「おなごりの門」とも呼ばれ、その由来は江戸時代後期の大覚寺最後の宮門跡である有栖川宮慈性入道親王に関係しています。親王は幕府からの命により江戸の輪王寺の住職を兼務することとなり、大覚寺を離れる際、勅使門から何度も振り返りながら出発されたことから、この名が付けられました。 慈性入道親王は大覚寺への愛着が深く、輪王寺在任中も大覚寺の伽藍復興を願い続けました。しかし、帰山直前の慶応3年(1867年)11月24日、江戸で急逝されました。現在でも輪王寺にある親王の墓は、京都大覚寺の方角を向いていると伝えられています。
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